2011.03.11 に発生した地震。当日は仕事で宮城県内の勤務先にいました。海から離れた勤務先ですが地震も文句なく大きく、「地面ってこんなに揺れるのか」と思い知らされました...
電車通勤しているのですが公共交通機関は全滅。当日は勤務先の施設で一晩を明かし、翌日自宅方面に向かう方に乗せて頂き住んでいる町に戻りました。
海岸から一キロ程度の自宅付近は津波の水がまだ引いていないということで近寄ることもできず、公民館に開設された避難所に一晩。
翌朝、歩いて自宅に向かう途中、偶然町内に住んでいる会社の先輩に会うことができ、朝食を頂いた後、自宅近所まで送ってもらいました。先輩より頂いた長靴がなければ近寄ることも入ることもできないような状態でしたが自宅は残っていました。
一階は天井近くまで浸水の後があり、室内には土砂だけでなく近隣の小屋の建材やら大きな庭木やら...
幸い二階は浸水していませんでしたが普段使用しているものの大半は一階にあったので被害甚大... でも、この辺は皆こんな状態。少し離れたところでは家そのものが流されていたり、二階まで浸水していたりなのでまだよい方でしょうか。
その晩は(山の方なので津波の被害に会わなかった)先輩の家に泊めてもらった後、翌日から中学校に開設された避難所にお世話になりました。
地震当日に実家に無事の一報は入れたものの、翌日にはスマートフォンの電池が切れ充電できなくなっていました(地震当日、通話用の携帯は自宅に忘れ、スマートフォンの専用充電器も自宅に(T_T))が、3/14にAUが使えるようになり、避難所の同室の方にお借りして実家に現在の避難先を連絡することができました。
3/16の夕方、夕食の配給を待っている時、避難所に電気が通じました(配給待ちの列から拍手が!!)、アンテナの立たなかったドコモの基地局も復活し、ようやく実家と話をすることができました。
3/18に実家より両親が迎えに来てくれ、現在新潟の実家に避難しています。車も流されたので安い中古車を手配したり、水没した携帯をドコモのケータイ補償 お届けサービスで復活してもらったり、着の身着のままだったので下着や衣類を買ったりと宮城に戻る準備をしています。
地元新潟での学生時代のサークルの先輩後輩から心強いお見舞いを頂いたり、買い物につきあってもらったりと元気づけられています。ありがとうございます。
ということで、自分の別ブログとの同じ内容の重複投稿ですが、生存証明として近況をアップ致しました。
皆さんいろいろありがとうございます。これからもたっぷりお世話にならないとやっていけませんがよろしくお願いします m(_ _)m
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